才能の正体とは何か?誰にでも才能が眠っている訳とは

2020年1月11日

 

才能の正体は「毎日続けることが出来るものの中にある」と私は考えています

 

 

才能は必ずしも最初の内から突出した能力などではなく毎日やっていくうちに突出した才能になることが多いのです

 

 

才能はよくダイヤモンドに例えられます。土の中に眠っているダイヤモンドはまだ泥だらけでまったくと言っていいほど光を放ちません

 

 

自分の才能はどこだーと迷って探している内は泥だらけのダイヤモンドに気づくことが難しく気づいたとしても本当にこれが自分の才能なのかと確信が持てない場合が多いのです

 

 

 

これなら毎日出来そうかもという所に才能が眠っていると考えれば才能は案外身近な所にあったりします

 

 

 

しかし好きなことと才能は必ずしも一致するわけではなく好きだけど才能はない場合も勿論あります

 

 

 

好きなことで生きていくというのは必ずしも自分が幸せになる道とは限らず、好きな事を仕事にした結果自分が理想とする生活とは程遠い人生になる場合もあります

 

 

私はゲームが好きで好きでたまらないのですがゲームに才能があるとは思っていません。毎日出来て楽しいけど才能があるかと言われればないのです。自分に才能がないと言い切れる分野でいくら頑張っても上手く行くとは思えないですし人生をかけて挑戦したいとも思っていません

 

 

いわゆる才能は自分の好きな分野でなく得意な分野に隠されているからです

 

 

 

才能は相対的なものであり、あまりにも突出した才能を持った者を見ると自分に才能がないことくらい容易にわかるものです

 

 

 

でも突出した才能を持った者が身近に感じられる場合はGOサインで自分もああいう風になりたいと夢中で追いかけている内に気づいたらその分野で頭角を現していたということもあります

 

 

 

自分の才能を探したい場合は「毎日出来てかつあまり苦ではないもの」

 

 

あまり苦ではないものと言った理由はどんな分野であれ頂点を目指す時は苦痛を伴うからです

 

 

苦痛を伴ってもなんとなく毎日続けるものが才能なのではないでしょうか