なぜINFPは太宰治に熱狂するのか

最初に

本日はなぜINFPは太宰治に熱狂するのかについて話したいと思います。

なぜ太宰治なのか

日本の近代文学の小説家はたくさんいます。それこそ森鴎外、川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎、江戸川乱歩など。
しかしなぜこれほど多くの小説家の中で唯一太宰治だけが圧倒的な人気を誇っているのでしょうか

 

その理由は類は友を呼ぶからです。太宰治はINFPです。
彼はINFPの良い所悪い所をすべて持ち合わせ、INFPの度合いを1から10で表すとすれば、9や10に値するような強いINFP気質を持っています

 

INFP気質強すぎるとどうなるか

まず感受性が鋭すぎて日常生活を営む上で支障をきたします。神経質とも言えます

 

頭が良いため、先のことまで考えることが出来るが、考えた末に行きつく先は大体ネガティブのようなものであるため、落ち込むことが多いです

 

基本考え方がネガティブだとも言えます

 

人と対立するくらいなら、自分を犠牲にして場を丸く収めようとします。一言で言うと内向的なオタクというやつです。自分の殻にこもり、ひたすら考えを巡らせる、変態のようなやつだということです。度合いが高くなればなるほどこういう傾向が強く、太宰治もその中の一人でした

 

太宰治が強く憧れていた芥川龍之介もINFPだと推定され、INFPがINFPに共感し憧れを抱くという構図は今でも続いています

 

なぜこれほど太宰に熱狂するのか

INFPは幼少時から自分が他の人とは良い意味でも悪い意味でも何か違うといった違和感を持っています

 

なぜ他の人はこういうことが平気で出来るんだろうと本気で思っているのです(何気なくお喋りをして何気なく笑いあうと言ったような普通の事)

 

そのため、周りに溶け込もうといわゆる太宰の言う道化をするわけです。太宰はサービス精神に溢れていたらしく、ネガティブな思考ながらも周りを楽しませようとする面がありました。そんな身を削ってまで周りに合わせようと必死になる太宰の姿が自分と重なり、INFPは強く共感し、太宰教に入信するわけです

 

太宰治に熱狂するのは一時的?

しかし多くの人は太宰教に入って何年かすると、太宰教から離脱する場合が多いです

 

なぜかと言うと社会生活を営む上でこれだけネガティブに物事を四六時中考えていたら、身が持たないことを知り、プラス思考に乗り移っていくからです

 

太宰治が書いている小説の感情は思春期には誰もが一度は経験するセンシティブなものであり、他の小説家にはない繊細な感受性から来る特有の文章は正にINFPにとって救いとなるような、世の中をこういう風に感じているのは自分だけじゃないんだと思わせる不思議な力があります

 

太宰治の代表作に「人間失格」がありますが、個人的には「女生徒」という作品の方が太宰治の良さが出ていたのではないかなと思います。感受性が天才的という人は太宰治が最初で最後かなと思います。女生徒を読みそう思った経験があります。

 

太宰治のおすすめの作品

私はほとんどの太宰治の作品を読んでいますが中でも一番面白いなと思った小説はこちらです

走れメロス

斜陽

女生徒

皮膚と心

探せば無料で読めます!

 

太宰治はなぜ自殺したのか

INFPは妥協したくないという心理が強いということを以前の記事で書いたことがありますが(引きこもり、ニートINFPが今すぐすべきこと)彼もまた世の中に対して妥協したくなかったのではないでしょうか

 

妥協したくないけど、妥協することを強制される社会に絶望した(あくまでも憶測に過ぎません)とか、真実は太宰本人にしかわからないと思いますが、最後に書いた小説が人間失格という所を見れば生きる気力がなくなった所が垣間見え、かつ小説を書くことが嫌になったという発言から小説を書くためのインスピレーションが枯渇したことへの絶望感など、憶測ではありますがひょっとしたらそういったものがあるのかもしれませんね

 

どんな理由であれ彼は生きることに疲れたのでしょう。

 

最後に

太宰治の人間性はともかく、彼の書く小説は他の小説家とは一線を画す繊細さや鋭さがあり、そういった部分がINFPを惹きつけている要因になっているのではないかと思います

 

私は彼の作品が今でも好きですし、ふと彼の小説を読みたくなる時があります

 

小説を読んでいると改めて自由人だなと思います、自由人になるためにすべての犠牲を払いました。それでもなお自由人でいたいと考えているあたりブレないなぁと思いますし、そういう部分が割と好きだったりします。